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2012.05.28
研究会活動を通じての地域繊維産業支援とファッション・クリエータ―育成計画の推進

ファッションビジネス研究会代表 今宿 博史(中央支部)

 

はじめに

 ファッションビジネス研究会を(社)中小企業診断協会東京支部(現、東京都中小企業診断士協会)に立ち上げたのは、2005(平成17)年4月である。以来、7年間毎月1回の定例会を開催し続けている。

 中小企業診断士には、アパレルや流通企業、繊維産業の出身者が少なく、スタート時は「ファッションには、少しは興味を持つ」程度の会員が中心であった。そのため、当初は業種・業態そのものの認識を持ってもらうための会員を増やしたいという期待を目的として開催してきた。

 ファッションは「"世の中の動きが最も早い段階で現象化する"もの」(伊藤忠ファッションシステム(株)川島蓉子氏)である。

 直接に消費者の動きと接して動く業界であり、その意味で、もっとも先進的なビジネスの世界であるといえる。ファッションの視点で、しかも継続的に「現場を見続けること」は、いかなる業種・業界においても中小企業診断士が診断業務を果たす上で必要なことであり、また重要なことだ、との信念に基づき、積極的に当研究会への参加を呼びかけてきた。

 そして、その中から徐々にではあるが、具体的にアパレル企業を中心とした地域経済の支援と「広義のファッション」としてビジネス化にチャレンジしつつあるクリエータ―達の仕事に少しでも貢献していきたいという機運が会員の中から盛り上がり始めたのである。

 ファッションビジネス業界は、国策、消費者意識、技術革新等の影響で構造的変遷を繰り返している。その変化の中で先見性を持つ事業者が次代の役割を創造するも、近年とみに加速化する変化に追いつけず、ガラパゴス化した事業者が多いのも事実である。

 以下、ファッションビジネスの歴史をひも解きつつ現代の中小企業が置かれている事業環境を整理する。そして近年研究会と関わりをもった支援事例をとおして、中小企業が抱える課題と支援ポイントの一端をご紹介し、ファッションビジネス研究会の意義について考察する。

 

1.ファッションビジネスの変遷

? ファッションビジネス前史

 アパレルメーカーという業界用語が定着したのは、昭和50年(1975)代以降である。それまでは「衣料問屋」と総称され、主に百貨店を主要ターゲットとしていたこともあり「百貨店問屋」と呼ばれてきた。取扱商品は国産の肌着、靴下等のメリヤス商品が中心であった。

 百貨店で販売される紳士服・コート類は、生地(テキスタイル)販売が主力であり、既製服は"つるし"と呼ばれる安物であった。一般的にビジネス用スーツ・コートは、町の家内工業的な「テーラー」によるオーダー・メイド型の「お誂え」が主軸をなしていた。婦人服・コートも、百貨店においては製品販売より圧倒的に生地販売のウエイトが高く、消費者は必要な生地を購入し、それぞれ自分自身で縫製するか、近所の「仕立屋」に委託するスタイルであって、基本は自分のサイズに合わせたオーダー・メイド型の商品であった。

 繊維産業そのものは、戦前・戦後を通じて有力な輸出産業であり、日本経済の基幹産業でもあった。十大紡(綿・麻・絹・毛織物等)と戦前からの化繊メーカー、戦後急速に発展した合繊メーカー等の素材メーカーが主体をなしていた。産業論的には、繊維産業とはこれら素材メーカーを意味し、衣料品業界は「雑産業」に分類されていたのである。

 

? アパレル・マーケットの拡大

 日本経済の発展は対米貿易に負うところが大であったために、その中核をなす繊維産業(素材メーカー)が急速に米国繊維産業を衰退に追い込み、米国経済に大打撃を与えることとなる。米国市場への輸出拡大に向けて、韓国、台湾、香港等が持つクオーター(輸入枠)を活用するため「三国間貿易」を盛んに行ったことも、日本企業の目先の利益に繋がることとなった。

 しかし、このことによって戦後復興に喘ぐアジア諸国に輸出型繊維産業を譲り渡してしまう結果を招来することとなる。いわゆる「ブーメラン効果」と呼ばれる現象が、その後の日本経済における繊維産業の地位を一挙に低落せしめる結果となった。

 昭和40年代、沖縄返還に絡む繊維産業の対米貿易規制で苦境に陥った素材メーカーならびに通商産業省は、折から高まりつつあった日本国内の衣料に対する消費需要の高まりに注目し、ワーキング・チームを編成して米国に派遣し、日本の繊維産業の再生を探ることになる。

 米国衣料市場調査団の結果から、米国には「アパレル(衣料品)」と言われる業界が素材メーカーを遥かに超える規模で存在することを知り、アパレルの国内マーケット拡大を目指すことになる。

 百貨店もまた、昭和30?40年代にかけて急速に店舗数を拡大しつつある量販店チェーンの追い上げを受け、苦境に立っていた。業務改革の柱として、従来の衣料品問屋が取組みを本格化し始めた海外有力ブランドのライセンス商品の全面的な展開を決断し、生地販売から既製服中心販売の時代を迎えることとなる。

 

? 「ブランド」優位の時代

 日本の「ブランド」戦略は、昭和36年(1961)、小杉産業(株)による米国『ジャンセン』(水着、ゴルフウエア)に始まり、その後、『マンシングウエア』から、プロゴルフ界の"ビッグ・スリー"と呼ばれたアーノルド・パーマー(傘のマーク)、ジャック・ニクラウス(黄金熊マーク)、ゲーリー・プレイヤー(豹マーク)の「ワンポイント付き・鹿の子地ポロシャツ」を嚆矢とする。

 紳士服については、レナウンの子会社ダーバンによる当時人気絶頂の映画俳優アラン・ドロン(仏)を起用したテレビCMによって、一気に既製服化が進行した。従来型の紳士服問屋の多くが姿を消す衝撃を業界に与えることとなった。

 婦人服の既製服化は、昭和50年(1975)初頭より本格化し、西武百貨店池袋店による百貨店新時代ともいえる大改装(専門店化、多層階化等)以降のこととなる。婦人服の既製服化は、名だたる大手アパレル企業を誕生させ、ファッション=アパレルを意味する規模に拡大していく。

 海外有名ブランドの争奪は、大手商社を巻き込み熾烈を極めることとなる。同時に、C.ディオール、イヴ・サンローラン、カルバン・クライン、森英恵、山本耀司、高田賢三、三宅一生、川久保玲、稲葉賀恵等、国内外の有名デザイナーが輩出し、巨大化していく都心型百貨店売場を彩るに至る。

 鈴屋、三峰、タカキュー等の専門店チェーンも隆盛し、同時にダイエー、イトーヨーカ堂、ジャスコ、西友、マイカル等の群雄割拠時代から、郊外店チェーンの展開、さらにショッピング・モール、ファッションビル、アウトレット業態も出現し、旧来の商店街がシャッター通りと化していく。

 

? SPA企業の誕生

 ビームス、シップス、ユナイテッド・アローズ等セレクト・ショップも時代を映すファッションビジネスとして登場し、現在もなお発展・進化を遂げつつある。

 ファッション業界における特筆すべき業態としては、いわゆるSPA企業の登場である。従来の小売店が、百貨店も含めて基本的に卸売業を介して商品調達を行ってきたのに対して、SPA(スペシャルティストア・プライベート・レーベル・アパレル)企業は、中間業者を介さない業態である。

 この業態は、米国においては早くから完成された業態であり、GAP、ザ・リミテッドなど有力企業の多くを挙げることができる。SPA業態には、製造業を出自とする企業と小売業から発した企業があるが、経営内容に大差はない。

 日本では、問屋業が流通を支配した期間が長く、小売業者による製造業者からの直接商品調達・販売という慣習は生まれ辛かったということはいえる。この業態が日本でも可能となった背景には、以下を挙げることができる。

?20世紀末の共産圏国家の崩壊により、特に中国等の安い労働力が容易に手に入るようになった。

?世界的物流網の整備で、SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)が可能となり、短時間に資材の調達から製品化まで、適時・的確に商品を運ぶことができるようになった。

?消費の成熟化で、ファッションは特別のものではなくなり、ジーンズに代表されるように「ふだん着」として誰にでも、いつでも着用し得るもの(大衆化)になった。

?日本特有の複雑な流通組織では、世界の潮流である安価な小売価格商品を提供し得ず、もはや利益の確保ができなくなってきた。

 

? 日本市場へ世界的企業の直接進出

 経済のグローバル化は、百貨店の代名詞的事業分野であった海外のラグジュアリー・ブランドショップ時代を終焉させ、高級ブランドは次々と百貨店を出て、銀座、原宿等に自ら出店するようになり、百貨店の独占的地位は崩れ落ちる。

 加えて、世界のファストファッションの上陸である。H&M(瑞)、ZARA(西)、FOREVER21(米)、GAP(米)など、次々と日本国内で店舗数を拡大している。これらの企業の特徴は、小売価格の安さにあるが、それを可能としているシステム・マーチャンダイジングに注目しなければならない。単に、縫製工賃の安さを求めて全世界で生産しているわけではないのだ。背景には以下の実現があり、この事業展開は、旧来の日本型流通組織網ではなし得ないことである。

? 適切な紡績、染色、プリント、縫製工場を見つける。

? メーカーの設備投資を助力して先買権を確保する。

? 輸入割当枠(クオーター)のない国にメーカーとの合弁工場を建設する。

? 輸入割当枠の交渉をする。

? 生地、付属品、ラベル、パッケージなどの材料を手当てし、配送する。

? 仕掛品を転送する。

? 通関手続きをする。

? 発注元からの仕様書に基づいて品質管理をする。

? スピード・デリバリーを実現するために、全工程の時間管理をする。

 このマーチャンダイジング・システムは、マークス&スペンサー(英)が初めて完成し、米国のJCペニーやシアーズ等が学び、体系づけてきた仕組みだ。

 日本のSPA企業としては、ユニクロやクロスカンパニー、また、仕組みは日本流ではあるが"しまむら"の経営がこの手法に近く、かつ現在のファッション業界における「勝ち組」の業態であると認識しなければならない。

 

2.研究会支援事例にみる中小企業の挑戦

 先代が築き上げてきた中央のアパレルメーカーとのルートから離れ、あえて独自の流通の構築を目指す勇気ある行動が生まれている。海外からの安価なアパレルの輸入は増加しているが、地域経済の重要性、また「日本製」に対する消費者の声を追い風にして、彼らは着実に足場を固めつつある。

 

? 企画機能を持つ現金問屋の直営店出店計画支援

?製造卸の直営店展開の意図

 日本橋馬喰横山町に位置する現金問屋は、基本的には「二次問屋」に位置し、自社で企画機能は有しない。現在の商品調達先は韓国、中国等の卸マーケットからの直接買付けが中心で、商品の同質化は避けられない。

 A社は、先々代の横浜のスカーフ製造業から現金問屋街に転じた異色企業で、企画機能を有したアパレル企業的性格を持っている。販売条件は、「現金決済」を原則としている。「モノづくり」にこだわりを持ち、A社がファッションを通して提案する生活スタイルに共感するファン層に徐々にではあるが広がりが出てきて、売上を向上させている。

 BtoBネット販売も好調であり、ネット上の卸機能を持つポータルサイトをとおして小売店からの注文が拡大している。

 サンプルづくりは自社内アトリエで行っているが、それを可能にしている理由の一つは、近隣に染色、副素材等の業者が多く存在し、当地がいまだ「モノづくり」産地としての機能を有するためである。クイックレスポンス(QR)が可能となることで、サンプル作成が容易となり、それが当社の強みの1つとなっている。

 A社の3代目は、自社企画商品の社内ショールーム展示による現金販売のみに満足せず、積極的に「合同展」等に出展し、受注販売方式に転換中である。また、ショールーム機能として現金問屋街である当地は適さないと判断し、銀座に直営店を出して対小売店販売の拠点に活用したいとの相談を受けた。研究会では実務従事事業等をとおして、当社の支援に入ることになった。

 

? 経営者層の意識変革を促す

 A社は先々代以来の在庫・負債が多く、この解決を先行させる必要があった。これについては研究会会員の尽力により、銀座出店条件である銀行融資が可能となった。

 その後、直営店オープンの青写真を側面から描きながら開店を支援した。その後は適宜進捗を確認しながら、支援を継続している。

 A社はこれまで消費者への販売経験がないこともあり、直営店については優秀な店長を新たに雇用することでスタートを切った。ここでは一切値下げ販売は行わず、すべて正規小売価格で販売している。直営店は製造卸としてのショールーム機能を併せ持っているからである。一方、その位置づけに固執するあまり、そもそも直営店で採算を取っていこうとする考えや計画が弱い。SPA業態をも確立したいA社の各機能の有機的な連携モデルの考え方、スタッフに任せてしまっている直営店の経営者としてのマネジメント、直営店の販売戦略等についてアドバイスを行っている。

 

? 新人デザイナーの育成支援

? 新進デザイナーのブランドビジネス

 Y氏はファッション・デザイナーで、ブランドを展開している。プリント柄をモチーフにした商品から出発し、今やカラフルなプリント・タイツやサングラス等に異彩を放ち、関係業界からも注目されている。特徴はプリントのオリジナリティにあり、プリントを駆使したアパレル&雑貨との融合に独自性がある。

 研究会定例会ではデザイナーY氏のファッション思想、センスにも触れながら、斬新なデザインの数々に圧倒されながら、ファッションを大いに楽しんだ。しかしながらY氏のブランドもビジネスとしては発展途上にあり、中小企業診断士としての使命、職域についても考える機会となった。

? 業界慣習で閉ざされた扉を開く

 ファッション・デザイナーを目指す新人にとって、今のファッション業界の環境は厳しい。大手、中小を問わず、新人を育てる余力がないだけに、採用は実績を持つデザイナーに限られるのが現状だからである。

 新人デザイナーの登竜門としては、2011年度から東京都と繊維ファッション産学協議会の共催による「ファッションビジネス人材育成実行委員会」が模様替えして立ち上げられている。従来は、アマチュアのみが対象であったが、プロとしてすでに活動中のデザイナーを対象に「プロ部門」が新設されたのも幸いした。研究会ではY氏にこれに応募するように指導した。

 入賞者は、最大3年間にわたりビジネス支援が受けられる制度である。具体的には、国内外の展示会への出展や、新たなインキュベーション施設等を活用しての展示・商談の機会が与えられることになる。このチャンスを活かすべく、応募させたところ、見事「プロ部門」に入賞を果たすことができた。

 また、若手独立デザイナーにとっての共通の悩みは、デザインを製品化してくれる染色・プリント業者や縫製工場(いずれも国内生産)が見つからない、見つかっても相手にしてもらえない、ことである。研究会においては、必要な国内工場の紹介を行い、また、コスト面での支援が受けられるよう積極的な仲介を行っている。若手デザイナーの作品は、販売先を海外に求め、生産は国内に限定することが有利であるため、特に国内の数少ない優秀な技術を保持する工場を紹介することに専念している。

 

? 大手アパレルの下請から自社ブランドを展開するニット製造業の支援

? 直小売店販売を目指す2代目

 ニット製造業(ニッター)は、従来ほとんどが大手アパレルの下請業として安定した業績を維持してきた。しかし、ニット製品自体(セーター類)の需要減と、丸編み製品(カット・ソー等)の原価が海外生産で超激安化してしまい、国内での生産が不可能となってしまった。ニット製品は、ゲージ別編機の投資が必要であり、流行による編機稼働率のムラが大きいために、廃業する企業が激増した。

 B社社長は、国内ニット産地でベストファイブに入る著名企業の子息である。次男でもあり、実家を離れて独立、夫人との共同企画で独自の商品を作り上げてB社を創業し、レディス・ニットで順調に業績を伸ばしてきた。B社もご多分に漏れず得意先である大手アパレルが海外に生産拠点を移したことから、自らアパレルを通さない直の販路開拓に乗り出し、大手アパレル企業の小売店向け展示会に参加することで一応の成功を収めることができた。

 しかし、ニットはシーズン商品だけに業容は安定せず、また、大手アパレルの舞台を借りての販路は制約も多く伸び悩みが続き、結局、産地を中心とした地場問屋との取引が増えてしまい、売上げはともかくとして、粗利益段階で不振状態に陥ることとなった。

 折から海外留学を終えた社長の息子であるM氏と専門学校卒の実妹は事業意欲が強く、社長夫妻のアダルト・シニア向け商品に飽き足らなかった。ヤングアダルト・アダルト向けに新商品を開発したいという希望と、大手アパレル、地場問屋を頼ることなく直小売店販売を目指す強い姿勢を示した。当社は薄地向けのゲージ編機主体であるため、新たな投資負担は少ないと判断され、社長の決断も得た。新ラインは、新たにデザイナーを採用してスタートを切ることが決定された。なお、従来の社長夫妻のラインは、継続中である。

? 従来の事業の殻を破る

 研究会では、直接小売店、さらに消費者への販売に踏み切るべく「自社ブランド」開発を支援することとなった。

 M氏は、帰国後従事していた生産ライン業務から外れ、東京に販売事務所を設置した上で、本格的に合同展に参加することを柱とした流通経路の構築を目指したが、折からの東日本大震災で東京進出計画を断念した。しかし、2012年春夏物商品より自社ブランドで「合同展」に出展し、受注販売を開始した。

 合同展では百貨店バイヤーに注目され、複数の百貨店で3月末から4月にかけて展開することが決定した。その際「消化仕入」形態での百貨店への販売については、厳重に注意はしたが、M氏は目先の注文に惑わされてしまったといえる。条件は短期催事、消化仕入であった。社長は、多くの生産量は見込んでいないものの、売れ残りの懸念が強いビジネスであることは認識していた。現金販売中心の「買取方式」厳守が今後の課題である。

 M氏の挑戦を進めるためには、従来のメーカー意識からの脱却が必須である。ニット製造業者は、アパレル企業デザイナーの指示通り見本を制作し、本生産に入り、受注分は全量買取・返品ナシの"ゆで卵"体質にある。そのため、直接に小売店から受けるであろうリスクに実感を持たない危険性をはらんでいる。また、M氏には、いまだアパレル企業としての自覚に欠け、デザイナーにすべてを委ねてしまうという従来の体質から抜け出せていない点が指摘できる。

 M氏は現在、秋物の企画に入っており、参加する合同展の規模・回数も拡大したいとの希望を持っているが、春夏の販売成果如何では、デザイナー個人の感性に振り回されることのないようにアドバイス中である。

 

 

3.今後の研究会運営のあり方

 毀損化・過疎化が進む日本古来の国土を守り、発展させていくためには、繊維産業の再生が不可欠となってきている。

 消費そのものの成熟化に伴うファッションの海外生産ウエイトは、上がることはあっても、下がることはあり得ないと考えられる。ただ、最近のファッション化の流れは、アパレルにのみとどまるものではなく、消費者の生活全般に及んできていると考えなければなるまい。

 同時に、経済のデフレ基調に変化の兆しがないとはいえ、「良いもの」、すなわち、日本に古くからある「モノづくり」の伝統から紡ぎだされた商品に対しての願望は、海外諸国からも強く要望されるに至っているのである。

 そのため、当ファッションビジネス研究会のあり方、存在価値としては、中小企業診断士によるファッションビジネス(ライフスタイル提案)の切り口で、繊維製造業を核として、他の産業(農業、漁業等)をも巻き込むプロジェクトに発展させていきたいと念じているところである。

 最後に、ファッションビジネス事業を発展させ、一方崩壊させるものとして、インターネットの存在を無視することはできない。ネットの活用・共存をいかに図っていくべきか、喫緊の課題と考えている。

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